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ゆるまち編集部

2018.05.29

ゆるまち編集部

【大切な場所~故郷への想い~やなせななさんに聞く】

「高取町で初めて歌ってから徐々に町内にも応援して下さる方が出てきました。10年前のことです」と、ななさん。

東京から関西へ、奈良へ、高取へ……と歌を創り作り出す場所にも変化が現れていたそうです。

このタカトリゆるまち第一回でインタビューさせていただいた高取町雛めぐりの仕掛人、野村幸治さんが「せっかく地元でCDを創るんやったら新聞社に言うたる」と声をかけてくださり、4紙に掲載。おかげで「新聞にも出てはった」と、だんだん振り向かれることが多くなりました。

ブログ『歌う尼さん徒然記』として書き溜めていたものが、自伝として出版されたことも功を奏し、認知度はますます高く。

お寺コンサートの評判もよくなっていき、どんどん仕事がくるようになり、ついにはTV出演も。

しかし、今度はそれがしんどくなっていったそうです。

そして……2011年東日本大震災。

地震後すぐ支援を始めたななさんですが、歌う尼さんに対する期待はどんどん高まっていきました。月に28回ものコンサートを抱え…高取を1ケ月も空けたことがありました。

ついに、声が出なくなりました。「それでも行かなければならない…」と、首にステロイドを打ってでかけたこともあるそうです。

そんなある日。東北の旅から帰ってきて市尾の駅から歩いていたら、金剛山や葛城山がとても美しく見えた。

『ここは田舎だけれど、この空、田んぼ、小さな家々-子どものころから見慣れた故郷が日本で一番きれいで優しい風景、自分にとって大切な場所』だと、改めて気づかされた思いだったそうです。

高取町は過疎で若い人や子供の数が減ってきています。ななさんの母校も閉校となり老人ホームになりました。

「自分の命がここにある今、自分の故郷が輝いているこの今、この姿を映像に残しておきたい」と、映画『祭りのあと』は、ななさんの故郷への想いから創り出されました。

一方で、世の中には津波で故郷をなくす人もいます。命を失う人もいます。

お寺の家に生まれ、小さいころから『死』というものが身近にあったななさん。
「死んでしまったら終わりの命ではない。人生とは、光の世界からいつも太陽のように残してきた人たちを照らしてくれているもの。自分たちもやがてその光になる」…そんな命への想いを伝えたい。

生まれた以上、必ずいつかは死があり残される人がいます。誰しもそれが人生と知りながら今を生きています。

「それを伝える舞台は故郷からがいい」ななさんにインスピレーションが訪れました。

『日本全国いいところはいっぱいありますけど、やっぱり私は高取町より素敵やなと思う町には一生めぐり逢えないと思っています。大好き』

映画を見おわった時、きっと誰もが故郷へのあたたかい気持ちを静かに思い出すことでしょう。

 

来年シンガーソングライターとして15周年を迎えるななさん。

これからの夢を伺ったところ「仏教も音楽もこのまま地道にやっていき、ベストアルバムを作るなどしたい」と話されていました。

ななさんにとって、この二つは分けられないもの。どちらも大切な優劣のつけられないものなのです。

歌も「いのちのこと」「ふるさとのこと」を歌い続けたい。無理をせず全国を回って、一人でも多くの人に歌を聴いて頂けたら……と仰っていました。

歌と一緒に、子どもにも大人にもわかりやすい和やかな感じで仏教を伝えてくれるななさん。

人が亡くなるということは異種な世界ではなく、自分の生活の周りにいつもあること。そして、人は亡くなってもいつもそばにいてくれるのです。
教恩寺の佇まいとななさんの優しいまなざしを思い出しながら、今日もゆるりと時間がすぎてゆきます。

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